多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき  東歌



 万葉集より。あまりにも有名な歌。作者未詳の東歌なのである。いっそのこと僕のものだって主張しようかな。

 要するに言いたいのは下の句なのだ。「どうしてあの子が、このように特別かわいいのだろう」。その序詞として、「多
摩川でさらす手作りの布のように」という上の句がある。「さらさらに」に「特別に」という意味があるので、そのふたつが
つながるということらしい。なるほど。
 よいねぇ、「さらさらに」。用法として現代に残っていないのがもったいない。「さらさら」と言えば、もはや擬音語として
の「サラサラ」しか残っていないのだ。ここに「格別に」という意味合いが残されていれば、詩作においてだいぶ便利に働
くような気がしてならない。
 上の句になんかサラサラしてて上品そうな物を置いて、下の句で強調したい恋愛感情とかを詠えばそれで一首できあ
がりなんでしょう? みたいな。
 そんな不真面目な考えが浮かびつつも、とにかくこの短歌は音がいいのだ。声に出して読み上げると気持ちがよい。
オノマトペというのは基本的に口の中で転がすと心地よいものになっているし、サ行の流れるような感じもまたよろしい
のだと思う。なんか当り前のことしか言ってないが。
 ところで受験のときに、「カナシイ」というのは現代の「哀しい」とは違うのだと習った。そうじゃなくて、「愛しい」みたいな
意味なのである(たしか)。実際のところ「カナシキ」の部分を「愛しき」と表記している本もあったから、たぶん間違って
いない。
 しかしこの歌が労働者の詠んだものであることを踏まえると、「イトシイ」という気持ちに「カナシイ」という音を置くところ
に、なんとも言えない切なさを感じたりする。それは現代人だからこそ感じる、当時の人間は絶対に狙っていなかっただ
ろう効果だ。「カナシイ」から「イトシイ」のだし、「イトシイ」から「カナシイ」。人間の感情の根底の部分な気がする。
 
 まあそんなわけで、たまに万葉集の歌について考えたりすると、当時にあって今にはない表現や、今にあって当時に
はない意味合いなんぞがけっこう見受けられて、日本語とか短歌とかっていうものはおもしろいものであるなあと今更な
がらに思ったりするわけである。


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