今の世は来む世の影か影ならば歌はその日の予言ならまし    尾上柴舟



 短歌というものについての感慨を詠ったもの。とても気に入った。このtankaページの表紙に置きたいくらいだ。

 一千枚の散文が内包されている短歌には、すさまじい内容が凝縮されて、在るはずなのだ。
「マンガは絵があるから想像力を駄目にする。小説を読め」と、小説を読まない大人に限って言うけれど、書かれている
文章を頭の中で映像にしていく作業を想像とは言わない。それは想像力ではなくて映像力だ。よっぽど行間を読むとい
うのなら別だけど。
 想像力を鍛えたいのならば、短歌を読むべきだろう。もしくは俳句や諺など。断片のキーワードだけで完結した短歌
は、実際のところ読み手によって様々な解釈ができる。それは芸術作品にありがちな表現だが、本当に鏡なのだと思
う。
 牽強付会でもよいのだ。「言い訳」や「屁理屈」を、しない人間を「正々堂々とした好人物」などと言うけれど、僕はそん
な面白味のない人間とはあんまり付き合いたくないと思う。きっと小説もマンガも読まず、体を動かしてばかりいたんだ
ろうな。

 話はずれてしまったが、要するに短歌というのは、未来になにが起ころうと、きっとその未来の出来事についても、語
られている部分があるはずだ、ということ。コミュニケーションがなんやら、と盛んに言われているこの現代で、平安時
代の恋歌がなんと胸に響くことか、と言ったら分かりやすいか。


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